山姥日記

富士山とお向かいに棲むオバちゃん

3月の読書記録とタケノコ

3月の読書メーター
読んだ本の数:3
読んだページ数:959


その午後、巨匠たちは、その午後、巨匠たちは、感想
奇妙な物語だ。不可思議だ。不思議はない。面白かったのかつまらなかったのかも、良く分からない。けれどもこの先、印象に残る小説だろう。
読了日:03月27日 著者:藤原無雨

 

 


星落ちて、なお星落ちて、なお感想
北斎の娘もこの本の主人公のとよも大変な父親に翻弄されて生きたんだなぁと溜息が出る。「人は喜び楽しんでいいんだ」と晩年のとよが思う。そこが救いかな。名を成す人は、本人はいいよねとおもう。巻き込まれていく家族はたまったものではない。が、それでも己が血に抗うことはできない。そして、やっと行き着いた「人は喜び楽しんでいいんだ」。哀しいけれど、そんなものかもしれない。
読了日:03月17日 著者:澤田 瞳子

 

 


ボタニカボタニカ感想
牧野富太郎という名を初めて聞いたのは、今から50年以上前。高校一年生の初めての生物の授業でだ。生物の先生が「フィールドに出ましょう」と言ってグラウンドに出た。ワタシ達はグラウンドの端っこを一列になって歩きながら先生の話を聞いた。その時の先生の言葉に牧野富太郎の名が出てきたのだ。読みながら、小説だけれどもこういう人だったんだねと思う。道を、学問を究めるのはまわりを巻き込まねば出来ない。家族も友人もこの「コマッタチャン」に愛を感じていたと確信する。後半は泣きながら読んだ。己の道を突き進むことは苦難の連続だ。こういう人の妻や家族は振り回され苦労の連続だ。しかし、前妻も後妻のすえも賢妻であることは間違いない。自由業の夫を持つ身としては身につまされる(夫の名誉のために言い添えるが、お金の苦労はワタシはしたことはない)。それはともかく、目黒の庭園美術館(だったと思う)で、ササユリの図を見たことがある。心ときめいた。熊楠の粘菌のノートのほうが感動は大きかったが・・・
読了日:03月13日 著者:朝井まかて

読書メーター

 

 

昨年5月にあることがあって

本を読めなくなった

 

そのあることは解決には至ってないが

本を読めなくなった理由はそれだけではない

と、思う

 

Amazonprimeやネットフリックスの中国のイケメンのせいだ

 

 

テレビを一日中観ていた

 

 

 

これではイカンと思うもやめられないとまらない

(どうしても古語になった言葉を使ってしまうのは、そういうお年頃だからだ)

 

 

それはそうと

今年はタケノコの表年で

夫はワタシはまだ目覚めぬ早朝から山を歩き回り

大量のタケノコを掘ってくる

 

掘ってくるのはよいが

茹でて(山に行く前に大鍋に湯を沸かし始めている)

知人友人親戚に送りまくる

 

去年は裏年だったので夫は不機嫌だったが

今年は大喜びだ

 

送料もバカにはならないが

夫は満面の笑顔で

掘っては茹で、送る毎日である

 

 

で、「ボタニカル」

牧野富太郎先生は、当然お会いしたこともないし

しかし、敬愛する人物だ

ママコノシリヌグイなど酷い名付けをした先生だが

考えてみれば、そのママコノシリヌグイの形状を見れば納得する

 

作中に

シーボルトが置き去りにした日本人妻の名を紫陽花につけたことを

若いころに「何たること」と牧野先生が思うところがある

が、晩年、奥様の名を植物につけた

 

若いころは許せないことも

年を取ってからは許容できるようになることを

夫を見ていても分かる

若いころは「なんだこりゃ」と侮蔑のまなざしで見ていたものを

今になって、夫は作り始めている

 

年を取るって面白い

 

 

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きれいに掘れた筍だけを撮ってみた