山姥日記

富士山とお向かいに棲むオバちゃん

11月1日から7日の富士山・立冬

11月1日

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午前9時17分頃

 

11月2日

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午前10時19分頃

 

11月3日

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午前9時48分頃

 

11月4日

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午前9時47分頃

 

11月5日

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午前8時38分頃

 

11月6日

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午後3時36分頃

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同上

 

11月7日

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午前9時37分頃

 

 

 

 

 

立冬

冬がやってきた。

 

昨日と変わらない景色だけれど

暦の上では、冬。

 

 

昨夜遅く、外に出てみると

半月が暈をまとい、薄い雲の衣を羽織ったように

柔らかい光を放っていた。

 

 

 

友人のお母さんが亡くなったことを

半月以上経ってから、友人が知らせてくれた。

 

子や孫に会えないよりも、

友人のお母さんにお線香をあげられないことは辛い。

まったく、コロナってやつは・・・・。

 

彼女(友人)は「悠々の一人暮らしよ」と言っていたけれど、

ちゃんと食べてる?と余計なことを聞いてしまった。

彼女はワタシなんかとは違い、ちゃんと料理をする人だったっけ。

 

コロナが落ち着いたら、お線香をあげに行こう。

一晩語り合いたい。

 

 

ワタシの母は20年以上も前に逝ってしまったけれど

母親って永遠に死なないものと思っていた。

それほどワタシは母に依存していたのかもしれない。

夫に「ホントにべったりの親子関係だったからな」と言われてこともある。

 

仕方ないじゃん、お母さんは娘を一人亡くしてるんだもんと言い返していた。

ワタシには会ったことのない姉がいる。

その姉のことを、ことあるごとに母はワタシに話して聞かせていた。

やきもちを焼いたこともあるが、遠い昔のことだ。

お正月の百人一首をするとき、最初に母は

「空札一枚。。。」と高らかに言い、姉への想いを和歌にして謳いあげた。

毎年だった。

 

 

何でこんなことを思い出すのだろう。

 

 

自粛中には、小さいころのことを思い出してばかりだった。

 

東京の片隅の商店街の裏通りで育った。

商店街には父の経営するガソリンスタンドがあり

集団就職の若者が何人も住み込んでいた。

三丁目の夕日」の世界そのままだった。

 

餓鬼大将がいて、小さい子もみんな仲間に入れてもらっていた。

インド領事館(かなんかだった)のお屋敷の階段に座って遊んでいた。

そのお屋敷の奥様が帰国するとき

裏通りの悪ガキども皆をお茶に招待してくださった。

 

ティーバッグ以外の紅茶なんか飲んだことはないし

白い糊の効いたテーブルクロスに銀のカトラリーなんかまるで知らなかった。

 

そんな子供たちを、外国の奥様はアフタヌーンティーで迎えてくれたのだ。

50年以上前に。

 

あのころ、

渋谷にはまだ、傷痍軍人がいたし

東京タワーが出来たばかりだったかもしれない。

 

などという事を、コロナ禍で世間が大変な時に

里山のバーサンは思い出していたのだ。

 

 

 

コロナに罹患する人が増えてきて

また、あの自粛が始まるのかしらと不安だ。

 

 

お節も頼んじゃったし、孫たちに会いに行けないかもしれない。

孫や子と食べるために大きなお重を頼んじゃったのだ。

二人では食べきれない。

それが不安なの・・・。

 

 

冬が来たね。