富士山側ではない裏山
空の色が夏とは違う
山の色も違う
風も違う
まだミンミンゼミが鳴く
夕方には法師蝉が鳴き始めるはずだ
夜中になれば鹿も啼く
お月見だというのに何も用意をしていない
今朝、庭で転んで手のひらが内出血しているからだ
と、言い訳を自身にする
これでは、十三夜さんも出来ないなぁ
片見月はご法度だ
8月の読書記録
読んだ本の数:6
読んだページ数:1904
白昼夢の森の少女の感想
「夜市」を読んだとき、この作家の世界に強く惹かれた。恒川光太郎を三冊続けて読んだ。ちょっと間を置こうと思う。「古入道来りて」「銀の船」がお気に入り。
読了日:08月01日 著者:恒川 光太郎
絶望図書館: 立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語 (ちくま文庫)の感想
ワタシは、絶望したことがあるだろうか。落胆はしたことがあるが絶望はないかもしれない。70年近く生きているのにだ。「苦労なさったのね」と言われることはあるが、自分が苦労したなんて思ってもいないのと同じかもしれない。そうそう、夫から筒井康隆だけは読んではいけないと言われ続けていたのに読んでしまった。これは大変なものを読んでしまったと猛省中である。川端康成の「心中」がすごいなと思う。こんなに短いのに心を鷲掴みにされた。
読了日:08月02日 著者:頭木 弘樹
わくらば日記の感想
あのお化け煙突だ。小さいころ兄と見た記憶がある。「ほら、1本」「今度は3本」と、兄の声が聞こえてくるが、兄はもういない。その兄はお化け煙突の傍でオート三輪に轢かれたと言っていた。真実かどうかは分からない。それほどワタシは幼かった。戦後生まれと言っても、気が付いた時はすでに日本は元気になりかけていた。そんなころのこの話は、とても哀しい。どうしても思い出してしまうのだ。父と母と兄とワタシの4人だけの生活を。もう3人とも鬼籍に入って久しい。一生懸命に生きた親の世代は戦争を乗り越えて逞しかった。生きる事に、子供を育てることに必死だっただろう。この中の姉妹ともう一人の少女(と言っても大人だが)の3人のやり取りは懐かしい昭和30年代後半の自分の姿を思い出させてくれた。哀しいけど、面白かった。
読了日:08月03日 著者:朱川 湊人
わくらば追慕抄の感想
渋谷のセンター街(当時はその名前すら気にもならなかったけど)の入り口に大盛堂書店があって少し中に入ると西村のフルーツパラー。家族4人で渋谷に食事に行くと食後は本屋とパーラーに寄った。表紙はその記憶の中の渋谷の空中を夜の都電。幼いワタシがそこにいるような気になってくる。東京を離れて40年以上が経つけれど、記憶の中の故郷は昭和30年代後半から40年代の東京で、前作の「わくらば日記」もこの「わくらば追慕抄」も時代背景を思うだけで望郷の念に駆られてくる。ああ、茜ちゃんが戻ってきてよかった。昭和28年生まれの私にとって、あまりにも切なくなる物語だ。「三丁目の夕日」シリーズ(映画の)と浅田次郎の「地下鉄に乗って」などと同じように、今はもうない実家の、そして今はもういない父母兄との生活を思い出す。いつか認知症になって『お家に帰りたい』と泣く自分がいるようで怖いが、このお家は東京の片隅の商店街の裏路地のあの家だろう。夫に帰りたいと言ったとき「あなたの帰りたい家はもうないよ」と諭されたけど、帰れるものなら帰りたい。
読了日:08月04日 著者:朱川 湊人
風を彩る怪物の感想
先日、栃木県に住む娘の所に行ってきた。我が家は静岡の山の中に在って、7月から秋の虫たちが鳴き始めているが、ウォンウォンと辺り一面が虫の声なので何の虫が鳴いているのか判別がつかない。しかし、娘の家の裏で隠れタバコをしていると邯鄲が静かに鳴いているのが分かった。邯鄲の声は優しい。で、帰宅後、読了。陽菜の音を解析する能力をすごいと感じるが「ああ、こういう風に音を聞きことが出来る耳を持ちたかった」と思う。風の強い日や柔らかな風の吹く日に、我が家の裏の森の音を聞くのが好きだ。雨の音もいい。が、ワタシにはそれを表現できる能力がないことが残念だ。世界は音楽で満ちているとこの本は言っている。若い人たちの成長の物語ではあるのだけれど。
読了日:08月08日 著者:逸木裕
「十二国記」30周年記念ガイドブックの感想
「漂白」読みたいと思って購入。アニメで見たけど、少し違った。「魔性の子」から追い続けて、ワタシ自身は来年古希を迎える。それでも「十二国記」は好きだわ。ネットフリックスでアニメを見続ける。オタクのババアと呼びたければ呼べと、少し胸を張る。常々思うことがある。我がニッポン国の政治家たちは「十二国記」を読むべきと。政治批判をするつもりはないけれど、民主党政権が終わった時「華胥の幽夢」を思った。為政者たちの品性は国民の幸せに直結するんだなぁ。
読了日:08月29日 著者:
読書メーター
裏山に入る道の入り口は我が家の桜の樹のところで
その桜の樹の下にたくさんの葛の花が散っている
お化け屋敷と化した我が家は
桜の樹までが葛に覆われている
これも素敵じゃないかとワタシは思うのだが
世の中の人はだれも賛同してくれないだろう
いいもん
ワタシ自身がこれでいいと思っているのだから
雨上がりも朝も夕方も
葛の花の香りで満たされている