山姥日記

富士山とお向かいに棲むオバちゃん

3月5日から9日の富士山・伝承するという事

3月5日

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午前9時35分頃

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同上

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夕方、山茱萸の花

 

 

3月6日

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午前10時19分頃

 

 

3月7日

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午前10時3分頃

 

 

3月8日

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午後6時12分頃

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同上

 

 

3月9日

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午前9時46分頃

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11時頃、暖かくなって猿が来た。いつもワタシが座っている窓辺の机から






 

Yahooの時のブログのお友達は、毎年のことなので

またかと思われるかもしれないけれど

お付き合いください・・・

 

 

 

昭和20年3月9日の朝(ワタシは生まれていない、念のため)

母と叔母は浅草から西千葉の別宅に向かっていた。

それぞれのお琴を疎開させるために。

 

母は新しい下駄を、叔母は新しい草履を履いていたそうだ。

 

母と叔母は二歳違いで、姉と兄がいて弟と妹がいた。

真ん中の二人は妙齢で、

母は陸軍省に、叔母は海軍省に勤めていたという。

 

西千葉の別宅に着き、そこでお泊りして10日に帰宅の予定だった。

ばあやに起こされたのは未明のこと。

 

西千葉から東京を眺めたと言っていた。

 

 

夜が明けて

二人は浅草を目指す。家族は大丈夫かと思ったと思う。

 

両国橋を過ぎるとき、川の中に浮かぶ人たちを見

また、

お蔵の前で呆然とする人、止めるのも聞かず蔵を開けて悲惨な目に合う人

道にあふれる黒焦げの人たちを見ながら、浅草を目指したそうだ。

 

浅草に着くと、周りは焼け野原だったが

父(ワタシの祖父)が娘たちを見つけた。

幸いなことに家族全員無事ではあった。

 

母の下駄は西千葉から浅草に着くころには、ちびてしまっていて

叔母の草履は熔けて、どの辺りからか叔母は熱い熱いと言っていたらしい。

 

 

この話をワタシは

まだ小学校に上がる前から聞かされていて

 

けれども

何故か、叔母も母も笑いながらしゃべっていた。

本当は、もっと微に入り細に入り残酷な情景を話していたのだが・・・。

 

 

今になって思う。

笑いながらでなければ、話せないような気持だったのだろう。

 

 

この話には後日談があって

 

東京にB29が来るかもしれないと思ったとき

祖父は、若くて美しい(叔母は小町娘と称されていたらしい)娘たちに

「この金庫にはお前たちの一番大切なものを入れておきなさい」と言って

祖父自身と店の大事な証券類は全部郵便局に預けてしまっていた。

が、郵便局は焼け

家の金庫は、家は焼けてしまったけど焼け残ったという。

金庫の熱が冷めてから(何日かかったのかは知らない)金庫を開けたとき

 

近衛兵だった気丈な祖父は腰を抜かしたと、祖父までも笑っていた。

 

金庫から出てきたのは

 

千代紙、きれいな半襟、レース、リボンなど

女学生の大切にするようなものばかり、金目のものは皆無だった。

 

 

叔母も母も、レースが残ってよかったわよねぇと・・・

 

 

 

亡くなるまで女学生気分の抜けない二人だった。

 

 

世にいう東京大空襲のある家族の話しだ。

 

戦後はかなり苦労したらしい。

昭和25年には母は娘を亡くしている(ワタシの会ったことのない姉である)し

 

戦後の苦労話は枚挙に遑はないが

それさえ、笑いながら話す兄弟姉妹だった。

 

 

 

海老名香葉子さんが家族みな亡くしてしまったと毎年話されるのを聞き

 

ウチのお母さんと叔母ちゃんは能天気なんだなと思っていたが

 

 

どんな苦労も悲しいことも、子供であるワタシには見せなかったのかもしれない。

 

 

 

 

しかし

 

 

死ぬまで女学生だったなぁ・・・あの二人・・・

 

 

 

 

 

今朝、

へたくそだったウグイスが教則本に書いてあるような

見事な鳴き声を聞かせてくれた。

 

姿は見せなかったけど・・・