寒暖の差の激しい3月
まったく、この気候はどうなってるのよと思っていた
先日の大雨は、未だに瀬音が激しく
河は傍にはないのに、山に谺して濁流なのかと思うほど
3月10日は昭和20年東京大空襲の日
この空襲のことは、母や叔母たちがワタシの小さいころに話してくれた
ただ、どんなに悲惨だったかとか地獄のようだったかではない
その前日、嫁入り前の母と叔母は西千葉の別宅にお琴を疎開させるため
浅草の家を出て、10日の早朝に東京の異変を見た人に起こされ帰宅を決めたそうだ
母は真新しい下駄を、叔母は底の厚い新しい草履を履いていたそうで
両国橋を通って浅草に帰り着くころは、叔母の草履は溶け、母の下駄はペタンコになっていたとか
蔵街を通っていた時には、まだ熱い蔵の戸を開けて炎が出ていたとか
とにかく、浅草の家に着くと家は焼けてしまっていてが金庫だけが残っていたらしい
その金庫は娘たちに「大事なものを入れておきなさい」と言った父親(ワタシの祖父)
娘たちは、当時大事にしていたものを入れ
家の大事なものは郵便局に預けていたそうだが、それはみな焼けてしまって
金庫の熱が冷めて開けてみると
レースやハンカチ、千代紙に女学生好みの文具などが出てきて
祖父は腰を抜かしたらしいが、母と叔母は喜んだと笑って話していた
母と叔母はその後苦労を重ねるが、生涯女学生気分が抜けないヒト達だった・・・
3月11日は東日本大震災の日
あの日のことは記憶に新しい
と言っても、我が家の孫たちの世代はなにも知らないのよね
東京大空襲の事もワタシは母たちの話しで疑似体験したようにも思う
伝えるって大事だなと、改めて思う
やっと春らしく、日の光がまぶしくなって虫たちも飛び始め、
今朝は、庭に蝶やハナムグリがやってきた
ついこの間まで寒くって暖房を欠かせなかったけれど
あっという間に我が家の桜は八分咲きになっている
28日にお浅間さんに行った
境内には桜が何本もある
咲き揃うと本当に華やかで、家康が寄進したという二階建てのお社の朱色とで
姫神の神域なんだなぁとつくづく思う
川の水も冬のそれとは違う表情だし
田んぼの支度に忙しいお百姓も晴れ晴れとした顔をしている
桜が咲けば、いろんな憂さも吹き飛んで
心が細波のようにざわつく
そんな春がやってきた
そうそう、17日には友人と歌舞伎座に行って
ワタシ達の両隣には若いカップルがいて、幕間には3組ともお弁当を食べた
ワタシの隣の女性のお弁当をバーサンはのぞき込んで「美味しそう」というと
彼女は優しい微笑みを返してくれた
そんなこんなで
3月にバイバイ